2010年06月01日

【引用】ひとつにならなくていいよ。 via/おちまさと

友人が教えてくれたんだけど、なんか思わず鳥肌がたってしまいました。まず以下に引用します。

* * *

ひとつにならなくていいよ。

テーマ:ブログ


よく

我が子の事を

「目に入れても痛くない」

という。

さっぱり

意味がわからない。笑

そもそも

なぜ

我が子を目に入れようとする

そのきっかけや衝動が

わからない。

なぜ

目なのか。笑

僕は

絶対にこの表現は

永遠に使わないと決めている。

それは

目じゃなくて

耳ならわかるとか

そういう事ではなくて

誰か人が作った感想と

同じ言葉と表現で感想を言う

なんて

まっぴらごめんなのだ。

僕は僕だけの

表現を考え

それを言葉にして

どれだけ

我が子がかわいいかを

語っていく。

これは

子供の話だけでなく

映画の感想でも

ニュースの感想でも

誰かの受け売り

では

全く意味がない。

全ては

十人十色

でいい。

小学校の頃

国語のテストで

「次の長文を読み

次の三つの中から

正しい感想を選べ」

という問題が納得いかず

担任ともめたことがある。

感想など

誰かから

強要される事はない。

感想ぐらい自分で決める。

たまたま

三択の中にあったなら選ぶが

その時は

いかにもこれが正解という

正解というのは

「とても興味深く・・・」みたいな

いい子ちゃんの感想なのだが

僕はその長文は

テストにまで重宝されるような

作品か?

と思ったからもめたのだ。

これは

感想とかばかりではない。

人は人なのだ。

しかし

日本人は

なぜか

正解を求めたがる。

この場合の

日本人の正解とは

みんなと一緒

ということ。

例えば

「社会ってこうよ」

「結婚ってこうよ」

「出産ってこうよ」

「育児ってこうよ」

とこの

「こうよ」

が実しやかに

正解となって

一人歩きしている。

まるで

『もののけ』

のように。

それは

間違いだ。

人それぞれ

別々の形があり

ましてや

こんな資本主義の

格差社会が叫ばれる中

昭和の高度経済成長期の

全て中流みたいな

みんな一緒でもあるまいし

『人生にまつわる

全ての大切な熟語の

自分辞典』

に書く意味は

全員が違ってていい。

その

多数論者の

みんなと一緒が正解

既成概念や常識が正解

と持っている人ほど

教えたがる。

教えなくてもいいから。

もう知ってるし。

っていうか

もしかしたら

あなたより詳しかもしれない。

こういう

正解は一つ論者ほど

『釈迦に説法』

してしまう。

なぜなら

まさか自分より

その熟語について

詳しい人はいないと

思っているから。

もしかしたら

そういう人ほど

自分がやって来た事が

正解(過半数や常識)から

外れる事が恐いのかもしれない。

そして

その自分の考える

精いっぱいの広さの

小さなグランド外で

その熟語の意味が

成立していく事が

イヤなのかもしれない。

僕が大好きな

『Mr.Children』の『掌』

という歌で

「ひとつにならなくていいよ」

という歌詞が出てくる。

その後に

「価値観も理念も宗教もさ」

と歌っている。

本当にそう思う。

なぜか

ひとつだけが

正解だと思い

ひとつになろうとする。

人生における

大事な熟語を

聞いたときに

「あ、それはこうよ」

と思った人は

そこでTHE END。

時計は

止まっている。

おちまさと

僕は

これだけの

長文を書かなければ

伝えられないことを

ワンフレーズで伝える

桜井さんを本当に

尊敬します。


* * *

この間、別の友人が言っていました。日本の教育は、「1192年」といったら「鎌倉幕府」と教える。でも、「1192年」に起こった出来事はそれだけじゃないよね、と。

同様に、私見だけど例えばマスコミは「○○年の10大ニュース」という風に1つの年や時代をまとめたりもする。上記の例と合わせて、それはそれで時代を切り取ってアーカイブするという意味では一定の意義を持つ。でも、その「意義」を分かった上でニュースを見たり、過去を振り返ったりするのと、初めから幾つかの「型」にはめて物事を理解するのとは大きく違う。

話を自分の生活に落とし込んでみても、自分は今ダンスを教え、マーケティングの仕事を通じて企業(自分たち)の想いやメッセージを世の中に発信しているけれど、ふと外の世界を見れば、「型」にはめようとする行為や、「型」でしか物事を理解しないで発せられるメッセージなどが溢れている(ここでは詳しくは書きません)。


そんな違和感を感じていた矢先に、そして何よりも自分もまた「そうであった」事に気付かされたので、この「ことば」を引用します。


■おちまさとオフィシャルブログ


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